クラウディオ・カルリ
クラウディオ・カルリは 1947年6月29日に イタリア、ウンブリア州の町アッシジアッシジに生まれ、現在も変わらず当地で制作活動を行っている。
10歳から絵を描き始める。当時のアッシジには 米国の画家ウィリアム・コンドンやローマからしばしばやってきたリッカルド・フランカランチャら多国籍の芸術家たちがいた。
これらの芸術家達は 中世の面影をそのまま残す町並み、ウンブリア地方の穏やかで美しい自然や 14世紀初頭にジョットーによって描かれたサン・フランシスコ教会内に現存する広大な壁画などに大いに魅了されて滞在していた。
1965年フィレンツェの芸術高校を卒業と同時に 同市の大学の建築学科へ進学。
大学在籍中からアッシジの中学校で写真を教え、フランコ・ブルチーニの“ストゥディオ A”に所属しながらグラフィック デザイナーとしても仕事をし始める。
カルリは 当時ヨーロッパを広範囲にわたって旅をしている。特にスペインの風景、スペイン人の気取らず社交性に富んだ気質や アーネスト・へミングウェイがそうであったように闘牛の神秘性に惹かれて スペインでは多くの時を過ごしている 。
1980年 オランダ出身の若き画家 マックス・クレイジンと出会う。この画家は当時のカルリと同様の問題に直面していた。視覚が捕らえることのできる物質独特の表面の状態や うつろいやすい自然現象を できるだけ適格に自身の感覚で捉え、自分の絵筆で絵画として浮上させていくという 画家としての本質的な問題だった。
カルリのこの頃の作品群は マックス・クレイジンの当時の作品群と密接な近似性がある。室内の薄暗がりの中で接近して描かれた対象(イメージ)、年代ものの建物の漆喰のはがれた正面、ほこりの積もった窓ガラス、 現実性を浮き出させるために 注意深い観察とメソッドでそれらが仕上げられていった。
1985年 ヴィットリオ・オッタヴィアーノ、エッツィオ・ジェノヴェーズィiと共同で 第3回ヴェネチア建築ビエンナーレに出品。
1990年代前半 カルリは開かれた自然界に再び目を向ける。
この時代のカルリは1800年代の偉大な風景画家たちイギリスのターナーやコンスターブル、フランスのコローや、ルソー、ミレーたちに代表されるバルビゾンの画家達 、1800年代のイタリアにおける風景画家のグループ、マッキア派らの作品群を再認識している。
1991年の個展「ファサード上の風景」で カルリはアッシジの町をおとずれる人々を 独創性あふれる展示方法で魅了した。1600年代の建造物の正面いっぱいにはりめぐらされた多数の風景画が描かれたキャンバスは 周囲に広がる丘陵地帯と非常に調和がとれていて、訪れた人々にウンブリア地方の自然のすばらしさを再確認させるとともに、本人の風景作品群を同時に堪能させ、出品作は会期中に完売した。
1994年の個展” 「空で」は 1991年の個展「ファサード上の風景」の延長線上にあるコンセプトが さらに広がりを見せている。
アッシジの町のふもとに位置する場所スタッツィから さらに向こう側に続くスバズィオ山のうねる斜面を利用して 山の頂上まで間隔を取りながら風景絵画群を展示している。
訪問者は軽度のトレッキングをしながらカルリの作品を眺めつつ 頂きにある最終の展示作品にいたる、ユニークな展示方法をとった。また、「聖地としても名高いアッシジで丘を登って行くことは キリストのゴルゴダの丘での道行き想起させるもう一つの想定もあった」とカルリは語っている。
1994年イタリアの南部プイヤPuglia地方に滞在。
カルリはもともと大の読書家で プイヤ滞在時は特にボルジュ、ワイルド、ユールスナールらの作品を熟読し 現在における表現活動の精神面をつくりあげたと言える。